「察してよ」「普通はこうだよね」「言わなくてもわかるでしょ」
この手の“空気の会話”が、どうにも苦手だ。
暗黙の了解って、便利なようで不親切だと思う。
言わなくても伝わることなんて、実はそんなに多くないし、伝わっていると思っているだけかもしれない。
なのに「言わない文化」が美徳みたいにされている空気に、ずっと違和感を抱いている。
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「常識」や「空気」は、人によって違う
たとえば、職場でのちょっとしたこと。
お土産を配る順番、飲み会の座る場所、メールの文末の言い回し……
そんな細かいことまで「察して当然」みたいな雰囲気がある。
でも、こっちは知らない。
学んでいないし、誰にも教わっていない。
だから無意識に“非常識”とされることもある。
でもそれって、本当にこっちの責任だろうか?
言葉にすれば、誤解も減る
「暗黙の了解」は、実は誤解を生む温床だ。
「わかってくれていると思ってたのに」「そんなつもりじゃなかった」
こんな行き違いは、全部“言葉にしなかったこと”から始まる。
だったら最初から、ちゃんと明文化すればよいと思う。
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「これはこういうルールなんです」
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「今はこういう意味で言いました」
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「ここが不安です」
そうすることで、無用のトラブルを防ぐことができる。
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苦手でも、恥じゃない
「空気が読めない」「協調性がない」と言われて育ってきた。
でも、こっちはちゃんと聞いて、ちゃんと話して、ちゃんと理解したいだけなんだ。
「なんとなく」で流されるのが嫌なだけだ。
曖昧な関係より、明確な対話がしたいだけだ。
それは決して「悪いこと」じゃないと思う。
結論:「言わなくてもわかる」は幻想だ
本当にわかり合いたいなら、「暗黙」なんかじゃなくて。
むしろ、わかってほしいならちゃんと話すべきだし、相手に伝えたいならちゃんと説明するべきだ。
「言わなくてもわかる」ではなくて、「ちゃんと言い合える関係」が、いちばん強い。
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